"Hide and Seek"
子供の頃、私は姉や妹と"Hide and Seek"という遊びをするのが大好きでした。アメリカのこの遊びは日本の"かくれんぼ"に似ていますが、隠れる人はできるだけ音を立てずに隠れていなければなりません。仮に物音でも立てようものなら、すぐに見つけられてしまうからです。日本では、子供達が隠れた場所を見つけた後で、"もういいよ!"って叫びますが。
7才位の頃の思い出です。姉や妹たちと(時々、母も入ったりしましたが)裏庭で、父も交えて"Hide and Seek"をしようということになりました。父が、皆を探すオニの役を進んで引き受けてくれました。1から100まで数える、父の大きな声が聞こえます。父が数えている間、全員秘密の隠れ場所に身をひそめます。私には、とっておきの隠れ場所がありました。それはガレージの貯蔵庫です。"もういいかい?行くよ!"
私は笑いたいのを、必死でこらえていました。絶対、父に見つからないという自信がありました。もちろん見つかったことは一度もありません。家族で誰も、父に見つかった者はいないのです。30分かそこら経つと、父の大きな声が聞こえます。"もう降参だ。出ておいで! 今いる場所から出ておいで!" 全員勝ち誇った顔で、出て行ったものです。何をやっても父にはかないませんでしたが、この遊びだけは唯一勝つことができました。幾度となくこの遊びをしましたが、一度たりとも父が私たちを、探し当てたことはありませんでした。
私たちが大人になって、年齢を重ねた父と面と向かい合った時のことです。父はバドワイザーの缶ビールを片手にテレビを見ていました。自分たちと一緒に遊んだ"Hide and Seek"が楽しかったかどうか、聞いてみました。"お前たちが子供の頃、一緒に遊んだ中で、最高の遊びだったよ"という答えが返ってきました。
いつも、誰一人として探せなかった訳もわかりました。父は100まで数えたあと、家の中に戻って、昼寝をしたり、テレビでアメリカンフットボールを見たりしていたのです。実際に皆を探そうとしたことは、一度もなかったそうです。父にとってこの遊びは、家族から逃れて、ひとり自由な時間を楽しむものだったのです。家族をとても大切に思っていても、時には父親にも息抜きが必要なのだと、もらしていました。
これを聞いて、やっぱり父の賢さにはかなわないなと、皆で再認識しました。父は私たちと"Hide and Seek"の遊びをする度に、姿をくらますことができたのです。実際には、オニの役ではなく、隠れる側になっていたのは父だったのです。
(Translated by Yumiko Ono)
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